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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9995号 判決

原告 石田トミ

〈ほか五名〉

右六名訴訟代理人弁護士 大橋光雄

同 辻畑泰輔

被告 月村利晴

右訴訟代理人弁護士 倉田靖平

同 尾崎正吾

同復代理人弁護士 小森泰次郎

主文

1、原告らが被告に対し別紙目録(一)記載の建物につき公衆浴場経営を目的とする賃借権を有することを確認する。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、求める裁判

一、原告ら

主文同旨

二、被告

1、原告らの請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、主張

一、請求原因

1、石田作蔵は、昭和三六年三月一日栃倉晴二から同人所有の別紙目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という)を期間を定めず賃料一ヶ月金一〇万円の約定で公衆浴場の経営のため賃借し、その引渡を受けた。

2、古瀬正則は、昭和三八年一〇月一一日栃倉晴二から本件建物の所有権を譲り受けるとともに建物賃貸人たる地位を同人から承継取得した。

3、(一)ところで、栃倉晴二は、本件建物の敷地である別紙目録(二)記載の土地(以下「本件土地」という)をかねて被告より賃借していたのであるが、右建物譲渡と同時に、古瀬正則に対し本件土地の賃借権を譲渡したところ、地主である被告は右土地賃借権の無断譲渡を理由として古瀬正則および石田作蔵に対し本件土地の明渡請求訴訟を提起し、当庁昭和三八年(ワ)第一〇、一七七号事件として係属した(以下この訴を「別件訴訟」という)。

(二) そこで古瀬正則は右別件訴訟における昭和三九年五月三〇日の口頭弁論期日において被告に対し、本件建物を時価をもって買取るべき旨の意思表示をした。これにより被告は古瀬正則から本件建物の所有権を取得するとともに建物賃貸人たる地位を同人から承継取得した。

4、しかるに、被告は石田作蔵の右建物賃借権を争っている。

5、一方石田作蔵は、本訴係属後の昭和四四年六月一九日死亡したため、その共同相続人である原告らにおいて本件建物の賃借権を相続により承継取得した。

6、よって原告らは、本件建物につき主文第1項掲記の賃借権を有することの確認を求める。

二、請求原因に対する認否

1、請求原因1の事実は知らない。

2、同2の事実中、古瀬正則が主張の日時に栃倉晴二から本件建物を譲り受けたことは認めるが、古瀬正則が建物賃貸人たる地位を承継したとの点は争う。

3、同3の事実中、(一)および(二)前段の事実は認めるが、(二)後段の点、すなわち被告において古瀬正則の建物買取請求権の行使により、建物賃貸人たる地位を同人から承継取得したとの主張は後記抗弁のとおり理由がない。

4、同4の事実は認める。

5、同5の事実中、石田作蔵が主張の日時に死亡したこと、原告らがその共同相続人であることは認め、原告らが本件建物の賃借権を取得したとの点は争う。

三、抗弁

1、別件訴訟(請求原因3(一)参照)の昭和三九年一二月二四日の口頭弁論(和解)期日において、古瀬正則と被告とは「古瀬は昭和四〇年五月末日までに本件建物を収去して本件土地を被告に明渡し、被告は右土地明渡の代償として、金七五〇万円を古瀬に支払うことを約する」との条項を骨子とする裁判上の和解をした。

2、古瀬正則は、右の和解により別件訴訟におけるさきの本件建物の買取請求権の行使(請求原因3(二)参照)を撤回し、これを放棄したものであるから、被告は本件建物の所有権、したがって建物賃貸人たる地位を古瀬正則から取得しなかったことに帰する。

なお、買取請求権を行使するか否かは、権利者の自由な判断によるから、その撤回も本来自由な筈である。古瀬正則の建物買取請求権の行使により、原告の本件建物の賃借権が一たんは被告に対して効力を有するに至ったとしても、それは古瀬の右行為すなわち原告の全く関与しない偶然の結果に伴う法律上の効果にすぎないから、原告が買取請求権の行使の撤回による不利益を甘受すべきことは当然である。

四、抗弁に対する認否

1、抗弁1の事実は認める。

2、同2の主張は争う。仮りに、別件訴訟における和解が買取請求権の行使の撤回・放棄の趣旨を含むものとしても、第三者である原告の権利を侵害するような権利の放棄は許されない(民法三九八条、五三八条参照)。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、(借主石田作蔵、貸主栃倉晴二間の建物賃貸借)

≪証拠省略≫によれば、石田作蔵は昭和二五年中ごろ栃倉晴二から同人所有の本件建物を公衆浴場の経営のため賃借してその引渡を受け、当初金七〇万円ないし八〇万円の敷金を差入れていたが、その後栃倉晴二から敷金を金二〇〇万円に増額するよう申し入れがあったため、その領収書の意味を兼ねて昭和三六年三月一日あらためて栃倉晴二が石田作蔵に対し本件建物を公衆浴場の経営のため期間を定めず賃料月額金一〇万円の約定で貸渡す旨の契約書を取り交わしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、石田作蔵は本件建物につき、公衆浴場の経営を目的とする、借家法一条一項による対抗力を具備した賃借権を有していたということができる。

二、(建物賃貸人たる地位の移転)

1、古瀬正則が昭和三八年一〇月一一日栃倉晴二から本件建物の所有権を譲り受けたことは当事者間に争いがなく、前示一の認定事実をあわせ考えれば、古瀬正則は本件建物の賃貸人たる地位を栃倉晴二から承継したというべきである。

2、そして、栃倉晴二が被告から本件建物の敷地である本件土地をかねて被告より賃借していたところ右建物譲渡と同時に古瀬正則に対し本件土地の賃借権を譲渡したこと、ところが地主である被告は、右土地賃借権の無断譲渡を理由として古瀬正則および石田作蔵に対し本件土地の明渡請求訴訟(別件訴訟)を提起し、当庁昭和三八年(ワ)第一〇、一七七号事件として係属したこと、そこで古瀬正則は右別件訴訟における昭和三九年五月三〇日の口頭弁論期日において、被告に対し本件建物を時価をもって買取るべき旨の意思表示をしたこと、しかし、その後右別件訴訟の同年一二月二四日に施行された口頭弁論(和解)期日において、古瀬正則と被告とが、「古瀬は昭和四〇年五月末日までに本件建物を収去して本件土地を被告に明渡し、被告は右土地明渡の代償として、金七五〇万円を古瀬に支払うことを約する。」との条項を骨子とする裁判上の和解をしたこと、

以上の各事実は当事者間に争いがない。

3、ところで、被告は、古瀬正則が右の和解により別件訴訟における本件建物の買取請求権の行使を撤回しこれを放棄した旨主張するので、この点につき検討する。

思うに、借地法一〇条の買取請求権は形成権であり、その意思表示が相手方に到達すると同時にその形成的効果を生ずるものである。しかし、かかる形成権が訴訟上の攻撃または防禦方法として主張された場合の効果については、別途考慮する必要があり、学説上も争いがある。この点については、当裁判所は、形成権が訴訟上の攻撃防禦方法として主張された場合には、

(1)  その意思表示は訴訟上陳述されることを条件として、相手方に到達したときにその実体的効果を発生する。

(2)  しかし、後日右訴訟が取下、和解等の事由のため、右意思表示について裁判所の実体的な判断を受けることなく訴訟が終了するに至った場合には、一旦発生したその実体的効果は、初めに遡って消滅する。

(3)  形成権行使の意思表示はそれが訴訟上陳述された場合には、原則として撤回の自由はないが、意思表示をうけた相手方の承諾があれば(訴訟上異議のない場合)、撤回もできる。

と解する。

これを本件について言えば、古瀬正則は前示2のとおり別件訴訟において、本件の被告に対して訴訟上の防禦方法として買取請求権行使の意思表示をしたが、後に同じ訴訟内で被告と前記趣旨の和解をしたのであるから、この両者の関係においては和解の成立時に右意思表示より生じた建物所有権の移転という効果が初めに遡って消滅したものというべきである。

問題は、被告(別件訴訟の原告)から古瀬正則とともに共同被告として訴えられていた建物賃借人たる石田作蔵に対する関係である。もし、同人が別件訴訟において、古瀬正則が被告に対して買取請求をしたという事実を自己の利益に援用していたものとすれば、古瀬正則による買取請求権の行使により、建物所有権が土地所有者である被告に移転した結果として、建物賃貸人たる地位が古瀬正則から被告に移転したことになるのである。そして、弁論の全趣旨によれば、別件訴訟において石田作蔵は古瀬正則による買取請求権の行使を自己の利益に援用していたものと解しうるので、和解成立前においては、土地所有者たる被告と建物賃借人たる石田作蔵間において、賃貸人たる地位移転の効果が発生していたものというべきである。そして、このように相被告の建物買取請求権行使という事実により、土地所有者からの建物退去土地明渡の請求を排斥しうる共同被告のある場合には、たとい、買取請求権の行使者たる相被告が、その買取請求の意思表示の撤回をなし、あるいは、訴提起者たる土地所有者と裁判上の和解をして訴を終了させたとしても、建物賃借人たる共同被告(石田作蔵)に対する関係においては、この者が、右主張の撤回、裁判上の和解に同意を与えないかぎりは、買取請求権行使の効果を払拭しえないものと解するのが相当である。しかるに別件訴訟においては、土地所有者たる原告(本件訴訟の被告)は買取請求権を行使した古瀬正則との間においてのみ、裁判上の和解をなしたことが明らかであり、右和解をすること自体につき、ひいてはその和解の内容につき被告も、古瀬正則も建物賃借人である共同被告(石田作蔵)から事前ないし事後の諒解承諾を得たことの証拠は全くない。

したがって、別件訴訟において、被告(別件の原告)と古瀬正則が裁判上の和解をしたこと自体は、石田作蔵(別件の被告)に対する関係においては、買取請求権行使の効果を妨げることはできない(なお、別件訴訟において本件被告は、石田作蔵に対する関係では、理由はいくぶん異なるが、被告が建物賃貸人たる地位を承継したとの理由で敗訴し、これが確定している。)。ちなみに、別件訴訟における裁判上の和解条項は、土地賃借人たる相被告古瀬が土地所有者である原告(本件の被告)に対し係争土地を明渡し、原告(前同)が古瀬にその代償として金七五〇万円を支払うことを骨子とすること前認定のとおりであって、係争土地上の建物の賃借人たる相被告(石田作蔵)に対する関係では、同人のためなんらの手当てをしていないことが明らかであり、もし、かような一方的な和解によって土地賃借人のなした買取請求権行使の効果が絶対的に覆滅させられるものとすれば、判例がかねてより買取請求権行使による建物所有権の移転についても借家法一条の適用がある旨繰り返し判示した解釈上の努力は水泡に帰し、建物賃借人の地位を窮地に追込む結果となるのである。

4、したがって、抗弁は採用の限りではなく、被告が本件建物につき賃貸人たる地位を承継したとの結論は、これを変更すべき必要がないものといわなければならない。

三、(原告らの賃借権の承継)

石田作蔵が昭和四四年六月一九日死亡したこと、原告らがその共同相続人であることは当事者間に争いがないから、原告らは右建物賃借権を共同相続したものというべきである。

被告が石田作蔵、したがって原告らの右賃借権を争っていることは原告ら主張のとおりであるから、原告らはその即時確定の利益を有する。

四、(むすび)

以上の次第であるから、本件建物につき公衆浴場経営を目的とする賃借権を有することの確認を求める原告らの本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊東秀郎 裁判官 小林啓二 篠原勝美)

〈以下省略〉

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